それはある夏の日のおもひで

先週痛めた左肩がまだ若干痛い、つっても9割くらいは良くてちょっと違和感があるって感じ
なんだけど。
そんでこの左肩が痛いのなんか懐かしいかも?と思ってたらここの所の暑さで思い出した。


あれは高2の夏、甲子園出場かどうかを賭けた決勝戦6対6同点の9回の裏、
僕らの高校は攻撃の回だった。
ここで一点でも獲れれば勝ちというある意味こちらが有利な条件だったのだが
そうもいってられない状態だった。
それはピッチャーのオーバーワークだった、3年の槇村先輩が投げていたのだが連投のし過ぎでもう
はっきり言ってガタガタだった正直8回の時点でもうムリだ、と傍から見ても思えたんだけど先輩は
気合で切り抜けた、でもそれでもう限界だった。
ここで監督からピッチャー交代の命令が出る、先輩はあと一回だから…と食い下がったが
監督は交代の決定を変えなかった。
ここで交代、となると順当にいくと僕の同級生の国原なんだけど…いくら国原でも相手は甲子園
出場のレギュラー高校だ、ましてやウチの高校のエースの槇原先輩だからこそ対抗出来た、
という感じの相手、はっきりいって国原じゃ打たれるのは目に見えてる、
やっぱ今年も甲子園は夢の夢か…と全員が想像した。
そこで監督から驚きの言葉が出た
「ピッチャー交代、お前行けるか?」
その時監督がなぜ僕の目の前で言ってるのかしばらくわからなかった、
だから確認の意味でこう言ってみた
「ダレがですか?」
「いや、お前だよお前、アレ行けるんだろ…左」
そう、僕は普段は右利きなんだけど、ある時期右腕をケガしてる時に左手を使って
生活をしてるうちにそれなりに左腕も使えるようになった、で折角使えるようになったものが
ダメになるのは勿体無かったんでどうせなら左でも投げれる様に、
と部活の合間に練習したりもしていたのだが…
「で、でも試合でだって、むしろ練習試合とかでも使った事ないんですよ!?
 てかそもそも僕は試合に出た事だって…」と言うと監督は
「この試合正攻法でいったらどっちにしろ負ける、だったらお前に、左に賭けてみようと思った
 んだそれにお前は試合に出た事ないからビギナーズラックもあるかと思ってな」
「でも…」
そう思って周りを見渡すとチームメイトのみんなも
「俺らが決勝まで来れたの自体が奇跡なんだからもう結果とか気にしないでやってこいよ」
なんて事を言ってくれたりした、その言葉に背中を押されるように僕はマウンドに立った。
そしてボールを左手に持ち構える、すると会場から
「左か…」
「おい、あいつ左だぜ!」
なんて声が聞こえてきた、それらの声に臆する事なく僕はボールを投げた
シュッ、パン!
ストライクッ!
なんとかストライクだったがはっきり言って楽に打てた球だと思う、小学生の投げるボールと
良い勝負くらいだ、あのバッターワザと見送りやがったな…そう思って相手バッターの顔をみると
(なんだこんなもんか…)って顔をしていた、そしてその表情が僕の魂に火を点けた、そして
左手首に付けたリストバンドを外した…
ドスンッ!
と大きな音と土埃を巻き上げてリストバンド(約80キロ)が落ちる。すると会場中から
「あ、あいつあんな重いリストバンドを…」
「なんだあいつ!あんなのをまだ隠してやがったのか!」
「戦闘力が少し上がった…」
なんて声が聞こえてくる、そして2投目
ビッ、バン!
スッ、ストライクッ!
いける…俺の左、いけるぞ…どうだ戦意でも喪失したか?そう思って相手ピッチャーの顔をみると
流石は甲子園常連校、びびるどころかむしろ相手にも火を点けてしまったようだ…
「こうなったらここで…」
そう思って右腕にも着けていた超重量リストバンドを外す、そして放り投げようとしたその時だった
ふと観客席を見渡すと僕が好きな同じクラスの中島さんが大声で応援してくれているのが目に入った、
「やべぇ…やっぱ可愛い…てかあの応援があればなんだって…」
そう思った瞬間だった右手首から外したリストバンドが汗で滑って左足の上に落ちる…
メシッ…という嫌な音と共に激痛が走った、
「…痛ってぇぇぇえ」


その痛みのせいか僕は気を失ってたらしく僕は病院のベッドで目を覚ました、
そして試合の結果は…


とここまで書いて気付いたんですが左肩ケガしたのこん時じゃねぇな…
てかそもそも左肩痛めた事ってねぇな…
つうか、そもそも僕野球部にいた事もなければ野球のルールとかも殆ど
知らないんですけど、これで合ってんですかね?間違ってたらすいません。
久しぶりにあえて長文を書いてしまいました、そしてまた適当な事を書いてすいません。